
01 「父さんに何かあったら、僕は何をすればいい?」
店を塚ちゃんに渡す、1か月前の夜でした。東京で働き始めた息子が、連休で福岡に帰ってきました。22歳になった息子と、妻と、3人の食卓。ポメラニアンが足元で寝ていました。
食べ終わったあと、息子がふいに言いました。「父さんに何かあったら、僕は何をすればいいの?」冗談ではない顔でした。会社の先輩のお父さんが亡くなり、実家の始末で、きょうだいがもめているのだと言います。
僕は、答えられませんでした。家は3年前に売っています。車も手放しました。それでも「何をすればいい」と聞かれて、口座の名前も、どこに何があるかも、息子に一度も話していなかったのです。
その夜、僕は紙を1枚出しました。左に「残す物」、右に「残された人が、翌日にすること」。書いてみると、右の列が、思っていたより長くなりました。
残す物より、残された翌日のほうが長かった。
あなたが残す物の一覧を、今、紙に書けますか?
02 家を残すと、何が起きるか
もし家を売らずに残していたら、と考えてみました。家は1つしかありません。妻と息子で分けるには、売って現金にするか、どちらかが住むしかない。息子は東京です。
住まない家にも、固定資産税はかかります。屋根も外壁も、人が住まないほうが早く傷みます。売ろうとすれば、買い手を探す所から始まり、数か月から年単位の時間がかかります。きょうだいが遠くにいれば、話し合いだけで季節が変わります。
統計はこう示しています。2023年の時点で、日本の空き家は約900万戸。住宅全体の13.8%です(総務省「住宅・土地統計調査」)。空き家の全部が相続のせいではありません。けれど、住む人のいない家が増え続けていることは、数字がはっきり示しています。
残された人が、その家に住まないなら、家は「思い出」ではなく「仕事」になります。片づけ、管理、売る手続き、ときには解体。それを息子に渡すのが、僕の言う「残す」だったのか。
住まない家は、思い出ではなく仕事になる。
03 楊さんがノートに描いた、1本の線

翌週、僕は楊さんにその紙を見せました。いつものカフェ。楊さんはノートを開き、横に1本の線を引きました。「三平くん、残す物は2つに分かれる。分けられる物と、分けられない物」。
線の上に「家・店・車」。線の下に「市場の平均・現金」。楊さんは続けました。「上は1つしかない。分けるには売るしかない。下は1口ずつ分けられる。息子さんと奥さんで、半分ずつにも、好きな割合にもできる」。
「それに」と楊さんは線の下を指しました。「ここは、持っているだけでかかるお金がない。固定資産税も、修繕もない。値段は毎日公開されているから、査定もいらない」。
僕は聞きました。「でも、株は下がる年がありますよね」。楊さんはうなずきました。「下がる。だから生活費6か月分の現金を別に置く。それと、このお金は5年10年放置できるお金か、と残される人にも分かる形で残すこと」。
楊さんの最後の一言が、紙の右の列を短くしました。「残す物は、残す人の思い出で決めない。残される人の、翌日の暮らしで決める」。
残す物は、残される人の翌日で決める。
04 家と株。残される息子の側から比べると

楊さんの線を、5つの点で表にしました。残す側ではなく、残される息子の側から見た表です。制度の細かい所は、僕には書けません。相続税のかかり方や、家と株の評価のしかたは、税理士や弁護士に聞いてください。ここに書くのは、暮らしの側の一般論だけです。
分けやすさ。家は1つ、株は1口ずつ。持つだけでかかるお金。家は毎年、株はない。売りやすさ。家は数か月、株は数日。値段の分かりやすさ。家は査定、株は毎日公開。残された人の手間。家は管理と空き家の対応、株は口座の手続き。
5つとも、残される人にとっては株のほうが軽い。僕が3年前に家を売った理由は「自分が身軽になるため」でした。でもこの表を見て、もう1つの理由が後から付いてきました。息子に、仕事を残さないためです。
先生の講座の最後の回は「わが家の資産運用プラン」でした。増やす話ではなく、家族の誰が見ても分かる形にする話。僕はその回を、この表を作りながら思い出していました。
家を売った理由が、3年たって1つ増えた。
05 1冊のファイルに、全部を入れた

僕がやったのは、派手なことではありません。透明なファイルを1冊買って、その中に全部を入れました。口座の一覧。市場の平均を持っている口座と、現金の備えの口座。NISAと特定口座の区別。保険の証券。税理士と、楊さんの連絡先。
そして1枚目に、あの紙を入れました。残す物と、残された翌日の2列です。右の列は、どの行も「このファイルを開く」から始まるようにしました。
次に息子が帰ってきた日、妻と息子と3人でファイルを開きました。息子は10分で読み終えて、言いました。「これなら、僕でも分かる」。妻は横で、少し笑いました。「私、もう全部知ってるけどね」。毎月の発表会に3年座っている妻は、本当に全部知っていました。
ファイルの置き場所は、食卓の近くの棚です。隠す物ではありません。家族に見せるお金と、見せないお金。先生の言葉どおり、見せる側に全部を置きました。作るのにかかった時間は、休みの日の半日でした。5年の中で、一番安い半日だったと思います。
「これなら、僕でも分かる」。息子の10分。
06 今日やること:「残す物」と「翌日」を、2列に書く
今日やることは、1つだけです。紙を1枚、左右2列に分けて、左の列に「残す物」、右の列に「残された人が翌日にすること」を書いてください。 家、車、店、口座、保険。正確でなくて構いません。書けない行があれば、それが今日の宿題です。
右の列が長い物ほど、残される人の仕事になります。短くする方法は2つしかありません。今のうちに形を変えるか、ファイル1冊で済むようにしておくか。どちらも、あなたが元気な今しかできません。
次の話は、E-4「荷物を全部下ろしたら、海が見えた」です。店の鍵を渡した翌月、僕と妻は白いキャンピングカーで福岡を出ました。
右の列を短くできるのは、元気な今だけ。
情報元
- 空き家 約900万戸・13.8%(2023年) | 総務省「住宅・土地統計調査」
- 講座 第15回「わが家の資産運用プラン」・第3回「生活費6か月分は現金で」・第14回「家族に見せるお金と見せないお金」(講義ノートより)
※ この物語はフィクションです。数字は試算で、将来の結果を約束するものではありません(くわしくは「この連載について」)



