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この話は、三平の2年目の話です(全体の地図を見る →)

第2部 2年目 財布と会社を整える 第5話

トラブルは「決めていない」から起きる

マリさんの裁判から1年。契約書はあるのに、ナオミさんは「運動会で休みたい」と言えなかった。社会保険労務士に教わった、先に決める3つの物=契約書・ルール・話す場。

閉店後の受付で、紙を手にしたスタッフの後ろ姿

01 ナオミさんが、休みを言えなかった日

マリさんの裁判から、1年がたった秋でした。閉店後、ナオミさんが「少しいいですか」と声をかけてきました。手には、学校のプリント。息子さんの運動会が、土曜日にあるとのことでした。

「土曜なので、無理ですよね」。ナオミさんは、そう言って笑いました。聞いたのではなく、あきらめた顔でした。僕は、去年作り直した契約書を思い出しました。休みの決まりは、たしかに書いてある。

でも、書いてあったのは「月8日・シフト制」だけでした。土曜に休みたいとき、誰にどう言えばいいか。何日前に言えばいいか。希望が重なったら、どう決めるか。何も、決めていなかったのです。

月に1回、みんなで集まる時間も、去年から作っていました。でも、みんなの前で「運動会で休みたい」とは、ナオミさんは言えなかった。1年前のマリさんと、同じ顔をしていました。言っても無駄だと思っている顔です。

決まりは書いた。でも、決めていなかった。

あなたの店のスタッフは、「子どもの行事で休みたい」と、あなたに言えますか?

02 「決めていない」が、封筒になるまで

マリさんのときに学んだことを、もう一度、別の角度から書きます。トラブルは、悪い人がいるから起きるのではありません。決めていないことがあるから起きます。

決めていない所には、「言った・言わない」が生まれます。休みの取り方、給料の上がり方、辞めるときの手順。決めていなければ、その場その場で、オーナーの機嫌と都合で決まります。スタッフから見れば、不公平で、先が読めない店です。

先が読めない店で、人は口をつぐみます。不満は消えず、たまります。たまった不満は、ある日まとめて出てきます。マリさんの場合、それが裁判所からの封筒でした。

逆に言えば、先に決めてある店では、不満は小さいうちに言葉になります。「運動会で休みたい」と言える店と、言えない店。違いは、オーナーの人柄ではなく、決めてあるかどうかでした。

悪い人がいるから、ではない。決めていないから。

03 社会保険労務士と、ナオミさんと

翌週、僕は1年前に契約書を一緒に作った社会保険労務士に、もう一度会いました。「契約書はあるのに、スタッフが休みを言えません」。先生は、うなずいて言いました。「契約書は土台です。その上に、ルールと、話す場が要ります」。

ルールとは、契約書に書ききれない「日々の決まり」でした。休みの希望は何日前までに、どこに書くか。希望が重なったら、どう決めるか。給料はいつ、何を見て上がるか。辞めるときは、何か月前に、誰に言うか。

話す場とは、みんなで集まる場とは別に、月に1回、1人ずつ、15分でいいから、オーナーと2人で話す時間でした。「数字の話ではなく、その人の話をする場です。運動会の話は、そこで出ます」。

僕は、ルールを自分で作らないことにしました。閉店後、ナオミさん、和子さん、塚ちゃんと、ホワイトボードの前に集まりました。「休みの希望は、何日前なら店が回る?」。和子さんが「2週間前なら、私が代われます」と言いました。

ナオミさんは、最後まで黙っていました。でも、帰り際に小さく言いました。「運動会、2週間前に書けば、いいんですね」。僕は「書いてください」とだけ答えました。

ルールは、オーナーが作る物ではなかった。

04 先に決める3つの物で、答え合わせ

社会保険労務士に教わったことを、表にしました。先に決める物は、3つです。契約書、ルール、話す場。決めていないと何が起きるか、先に決めると何が変わるか、誰と作るかを並べました。

先に決める3つの物の表:契約書は社会保険労務士と、ルールはスタッフと一緒に、話す場はオーナーが時間を決めて守る

1つ目の契約書は、去年、裁判のあとに作り直した物です。働き方の約束の土台で、これは専門家と作ります。土台がなければ、ルールも話す場も、宙に浮きます。

2つ目のルールは、土台の上に置く日々の決まりです。休み、給料の上がり方、辞め方。ここは、スタッフと一緒に作ります。オーナーが1人で作った決まりは、スタッフにとって「押しつけられた物」になり、使われません。

3つ目の話す場は、不満が封筒になる前に、言葉になる場所です。月1回、1人15分。オーナーが時間を決めて、守る。これだけで、「決めていないこと」が、毎月1つずつ見つかります。

表の中で、僕が一番大事だと思うのは、右の列です。契約書は専門家と、ルールはスタッフと、話す場はオーナーが時間を決める。誰と作るかを間違えると、3つとも、紙の上だけの物になります。

契約書は土台、ルールは日々、話す場は毎月。

05 運動会の土曜日

2週間後、ナオミさんは「希望休」の欄に、運動会の日付を書きました。和子さんがその土曜に入り、塚ちゃんが午前の予約を多めに取りました。店は、普通に回りました。

月曜日、ナオミさんは、スマホの写真を見せてくれました。徒競走でゴールする息子さんの背中。「1位だったんです」。ナオミさんが店で、自分の子どもの話をしたのは、それが初めてでした。

1人ずつの15分も、始めました。最初の月、塚ちゃんが「給料って、何を見て上がるんですか」と聞きました。僕は答えられませんでした。決めていなかったからです。次の月までに、僕は社会保険労務士と、給料の上がり方の決まりを作りました。

和子さんは、15分の最後に、こう言いました。「社長、去年までは、何を言っても変わらないと思ってました」。僕は、その言葉を、ノートに書きました。変わらないと思われていた店に、1年前、封筒が届いたのです。

言えない店から、言える店へ。

06 今日やること:「決めていないこと」を1つ、聞く

今日やることは、1つだけです。スタッフ1人に、「うちの店で、決まっていなくて困ることはある?」と聞いてください。 休みでも、給料でも、辞め方でも、何でもいい。

答えが返ってこなくても、構いません。1年前のナオミさんのように、まだ「言っても無駄」と思っているだけかもしれないからです。聞いたことを、来月も聞いてください。出てきた1つを、社会保険労務士と一緒に、決まりにしてください。

次の話は、2-6「売上は、いちばん高い買い物です」です。店が落ち着いた冬、僕は「そろそろ売上を上げたい」と楊さんに言いました。楊さんの返事は、意外なものでした。

来月も、同じことを聞く。

情報元

  • 労働者性の判断の物差し | 労働基準法研究会報告「労働基準法の『労働者』の判断基準について」(昭和60年)
  • 講座 第14回「家族のお金と資産運用のルール」「人件費は削る物ではなく設計する物」(講義ノートより)

※ この物語はフィクションです。数字は試算で、将来の結果を約束するものではありません(くわしくは「この連載について」)