第5部 5年目 回して、つなぐ 第5話
妻が「店より株のほうが安全」と言い出した
第1日曜の夜、妻が自分から発表会の席に着いた。「店より、こっちのほうが安全じゃない?」。夫婦で決めた3つのルールと、妻が買ってきた小さなノート。

01 第1日曜の夜、妻が自分から席に着いた
5年目の初夏、第1日曜の夜でした。僕が食卓にノートを広げていると、妻が向かいの椅子を引いて、黙って座りました。「今日、発表会でしょ。私も聞く」。僕は、妻の分のお茶を入れ直しました。
店の発表会は2年目から、家の発表会は倒れた春から始めていました。でも家のほうは、僕が一方的に見せるだけでした。妻は「ふうん」と頷いて、台所に戻る。それが、この夜は違いました。
僕が未来の口座の画面を出すと、妻は画面をしばらく見て、こう言いました。「これ、何もしてないのに増えてるの?」。僕は「売り買いはしていない。市場の平均を持っているだけ」と答えました。「下がる年もあるよ」とも。
妻は少し考えてから、言いました。「ねえ。店より、こっちのほうが安全じゃない?」。「何もできない」と言っていた人の口から出た言葉に、僕は一瞬、返事ができませんでした。
「店より、こっちのほうが安全じゃない?」
あなたの家族は、あなたが育てているお金を、見たことがありますか?
02 「安全」の意味を、夫婦で取り違えないために
妻の言葉は、半分正しくて、半分危ない言葉でした。僕はそれを、そのまま妻に伝えました。
正しい半分は、「店は僕が倒れたら止まるが、市場の平均は僕が倒れても止まらない」という意味での安全です。前の話で見たとおり、店は妻に渡せない仕事で、未来の口座は妻が引き継いでも何もしないだけで済む。
危ない半分は、「株は減らない」と思ってしまうことです。アメリカの代表的な500社の平均(S&P500)は、過去にITバブルとリーマンで約半分になり、コロナで34%下がりました。全部回復はしましたが、半分になった年に妻が見たら、きっとこわくなる。
「安全」は、「減らない」ではなく「止まらない・戻ってきた」の意味。そこを夫婦で取り違えると、下がった年に妻が「売って」と言い、僕が「待て」と言う、家の中の喧嘩になります。だから、先に決めておくことがありました。
「安全」とは、「減らない」ではなく「止まらない」。
03 ソファで、為替の話をした夜

それから、夜のソファで妻と話す時間が増えました。最初は「なんでドルなの?」でした。僕は4年目に楊さんから聞いた話を、そのまま話しました。全部を円で持っていると、円が安くなった分だけ、買えるものが減る。だから円で買っても、中身はドルの資産にしておく。
妻は「じゃあ、スーパーの値段が上がってるのも、それ?」と聞きました。全部ではないけれど、一部はそうだ、と答えました。妻は、ニュースの為替の数字を、初めて自分のこととして見たそうです。
楊さんの言葉を思い出しました。「毎月の発表会。焼肉食いながらでもよかよ」。難しい顔で数字を見せるより、ソファで犬を撫でながら話すほうが、妻には入りました。犬も、僕らの足元で安心して寝ていました。そして僕も、妻に説明することで、自分が本当に分かっているかどうかを確かめられました。
美容師の僕にできる「妻孝行」は、高い物を買うことではありませんでした。妻が、お金の全体を自分の言葉で言えるようになること。それが、僕がいなくなっても妻が困らない、一番の贈り物だと思うようになりました。
全体を自分の言葉で言える妻に。それが、僕の妻孝行。
04 夫婦で決めた、3つのルール
下がった年に喧嘩をしないために、僕と妻は3つのルールを決めました。講座の第14回「家族のお金と資産運用のルール」を、僕の家の言葉に直したものです。

1つ目、家族に見せるお金と、見せないお金を決める。全体の表は妻が持つ。日々の細かい値動きは見せない。全体を知っていれば困らないし、細かい動きは不安のもとになるからです。
2つ目、毎月の発表会を続ける。第1日曜の夜。外で焼肉を食べながらでもいい。続けるには、楽しい日にしておくこと。
3つ目、要らんことせん。売り買いはしない。見直しは年に1回。増やす判断は2人でする。人間の判断を減らすほど続く、と楊さんが言ったとおりです。
3つとも、紙に書いて冷蔵庫に貼りました。見える場所にあると、守る側の僕も気が引き締まります。貼った翌日、妻が「2つ目、焼肉の日って書いといて」と言いました。
見せるお金と、見せないお金を、先に決める。
05 妻が、自分のノートを買ってきた

夏の終わり、妻が小さなノートを買ってきました。表紙に何も書いていない、300円のノートです。「私のぶん」と妻は言いました。
そこに妻は、発表会のたびに、全体の数字を自分の字で書くようになりました。未来の口座の合計、現金の合計、借入の残り。3行だけです。書くのに5分もかかりません。でもその5分で、妻は毎月、全体を自分の手でなぞることになります。僕のノートを写すのではなく、自分で聞いて、自分で書く。
僕が変えたことは、妻に「説明する」のをやめて、妻に「聞いてもらう」ようにしたことです。「これ、どういう意味?」と妻が聞き、僕が答える。主役が入れ替わると、妻の理解は一気に進みました。
ある夜、妻が3行を書き終えて、ぽつりと言いました。「あなたが倒れた春、私、通帳の場所も知らなかったんだよね」。僕は「ごめん」と言いました。妻は「今は知ってるからいい」と笑いました。
「説明する」をやめて、「聞いてもらう」に変えた。
06 今日やること:家族を発表会に「招待」する
今日やることは、1つだけです。家族に「今度の日曜、お金の話を15分だけ聞いてくれる?」と頼んでください。 15分でいい。全体の数字を3つ(現金・育てているお金・借入)見せるだけで終わります。
相手が「分からない」と言っても、「見てもらう」だけで目的は果たせます。僕の妻は、3回目で自分から席に着きました。1回目で分かってもらおうとしないでください。
次の話は、5-6「スタッフに投資を教えたら、店が安定した」です。家の発表会の次に、僕が店で始めたことの話です。
家族を、15分の発表会に招待する。
情報元
- 講座 第14回「家族のお金と資産運用のルール」=「家族に見せるお金と見せないお金」「毎月の発表会。焼肉食いながらでも」・第10回「人間の判断を減らす」・第8回「為替」(講義ノートより)
- S&P500の下落と回復(ITバブル・リーマンで約半分、コロナで34%下落→いずれも回復) | 講座 第11回「暴落と回復の年表」(講義ノートより)
※ この物語はフィクションです。数字は試算で、将来の結果を約束するものではありません(くわしくは「この連載について」)



