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この話は、三平の5年目の話です(全体の地図を見る →)

第5部 5年目 回して、つなぐ 第6話

スタッフに投資を教えたら、店が安定した

ナオミさんが手を挙げた。「私たちも聞いていいですか」。月1回、閉店後30分の勉強会。ナオミさんは未来の口座を作り、和子さんはパート代を先に分けた。そして誰も辞めなかった。

閉店後の店で、ノートを前に座るスタッフの後ろ姿

01 閉店後の店で、ナオミさんが手を挙げた

秋の最初の発表会の日でした。店の数字を見終わって片づけようとしたとき、ナオミさんが手を挙げました。「三平さん。奥さんとやってる、お金の話って、私たちも聞いていいですか」。

妻の話を、僕は店でしていたらしい。「妻がノートを買ってきた」とか「冷蔵庫にルールを貼った」とか。ナオミさんは、それを聞いていたのです。和子さんも「うちも、パート代が余ったことがないのよ」と言いました。塚ちゃんは「独立するなら、お金のこと知らないとまずいっすよね」と頷きました。

僕は、少し迷いました。店のオーナーが、スタッフにお金の話をする。押しつけにならないか。断りにくくならないか。でも、ナオミさんが自分から手を挙げたのです。

「じゃあ、月に1回、閉店後に30分だけ。来る来ないは自由。何かを買えとは言わない。それだけは先に決めておく」。僕はそう言って、お金の勉強会を始めました。

「私たちも聞いていいですか」から、勉強会は始まった。

あなたの店のスタッフは、お金の話を、誰から聞いていますか?

02 美容師が辞める理由の、見えない1つ

連合総研の資料によると、美容師の離職は1年目で45%、5年目以上では88%にのぼります。10人入ったら、5年後に残っているのは1人と少し。この数字を初めて見たとき、僕は「技術を教えても、お金で辞める」と思いました。

給料だけの問題ではありません。将来が見えないこと。手取りが残らないこと。体を壊したら終わりだと思っていること。僕自身が、42歳まで同じことを思って店をやっていました。

僕の場合、店が不安定だった一番の理由は、売上ではなく、人が入れ替わることでした。1人辞めると、採用と教育で半年、売上で数百万円が動きます。マリさんの件で、僕はそれを痛いほど知っていました。

だから、スタッフが「この店にいれば、お金のことも少しずつ分かっていく」と思えること。それは僕の善意ではなく、店が安定するための設計の1つでした。楊さんが言った「人件費は、削る物ではなく設計する物」の続きです。

人が入れ替わることが、店を一番不安定にしていた。

03 ナオミさんが、未来の口座を作った日

朝の台所。新しい通帳を持つ女性の手元と、椅子にかかった子どものかばん

勉強会の1回目に話したのは、1つだけでした。「余ったら貯金、は一生来ない。先に未来へ回して、残りで暮らす」。僕が2年目に楊さんから聞いて、8年ゼロだった自分が変わった、あの順番です。

2回目の勉強会の前に、ナオミさんが僕に言いました。「口座、作ってきました。未来のやつ。月1万円から」。シングルマザーで、子どもの習い事もある。1万円は小さくありません。でもナオミさんは「1万円なら、今までも何となく消えてた額です」と笑いました。

和子さんは、パート代の一部を先に別の封筒に移すことから始めました。口座を作るより先に、「先に分ける」という動きだけを身につける。51歳の和子さんが「主人に言ったら、うちもやるって」と言ったとき、僕は少しうれしかった。

塚ちゃんは、何も始めませんでした。「まずは独立の資金ですから」。僕はそれでいいと思いました。教える、伝える。そこまでが僕の役目で、やるかどうかは本人が決める。強制した瞬間、それは勉強会ではなく、業務になります。

教える、伝える。そこまで。やるかどうかは、本人が決める。

04 勉強会で話した、5つ

半年の勉強会で話したことは、結局5つに収まりました。講座で僕が学んだことを、店の言葉に直したものです。

閉店後の勉強会で話した5つ:①先に未来へ回す ②生活費6か月分は現金 ③市場の平均を買って何もしない ④借りて投資はしない ⑤勧められた商品は手数料を見る。和子さんは封筒で先取り、ナオミさんは未来の口座、塚ちゃんは「借りて開業も同じでは」と気づく

1つ目、先に未来へ回す。2つ目、生活費6か月分は現金で持ってから。3つ目、市場の平均を買って、何もしない。4つ目、借りて投資はしない。5つ目、勧められた商品は手数料を見る。100万円預けて年1万5千円が引かれる話は、和子さんが一番驚いていました。

僕が気をつけたのは、商品の名前を一度も言わないことです。「どこで買えばいい?」と聞かれても、「金融庁の登録一覧で確かめて、手数料の安い市場の平均を選ぶ」まで。そこから先は、自分で調べてもらいました。

4つ目の回で、塚ちゃんがぽつりと言いました。「借りて開業するのも、同じですよね」。僕は答えに詰まりました。この一言が、冬の話につながります。

商品の名前は、一度も言わない。手数料の見方だけ教える。

05 店が、静かに安定した

昼の明るい美容室。働くスタイリストとお客様の後ろ姿

勉強会を始めて半年で、店に変わったことがあります。誰も辞めなかった。それだけです。でも僕には、それが一番大きかった。

ナオミさんは「子どもが中学に上がるまでは、ここで働きたい」と言ってくれました。和子さんは、発注のまとめ買いに続いて、光熱費の見直しを提案してくれました。自分の家計で「先に分ける」をやった人は、店の経費にも目が向くようです。

僕が変えたのは、スタッフを「売上を作る人」としてだけ見るのをやめたことです。それぞれに家計があり、将来があり、不安がある。店の安定とスタッフの豊かさは、別々の話ではなく、同じ方向を向いていました。

塚ちゃんは勉強会のあと、よく店に残るようになりました。独立の話を、僕にするためです。「開業って、いくらかかるんですかね」。その質問に、僕はまだ、答えを持っていませんでした。

店の安定とスタッフの豊かさは、同じ方向を向いていた。

06 今日やること:スタッフに「聞きたい?」と1回だけ聞く

今日やることは、1つだけです。スタッフに「お金の勉強会、やったら来る?」と1回だけ聞いてください。 来なくてもいい。断りやすい聞き方で。

もし誰かが「聞きたい」と言ったら、1回目は「先に未来へ回す」の話だけで終えてください。商品の名前は出さない。買うことをすすめない。それを守れば、勉強会は店を壊しません。

次の話は、5-7「60歳の僕の店に、お客さんは来ますか?」です。塚ちゃんの質問を考えているうちに、僕が自分の店の将来を数えてしまった話です。

「来る?」と1回だけ聞く。断りやすい聞き方で。

情報元

  • 美容師の離職 | 1年目45%・5年目以上88%:連合総研「DIO」323号
  • 講座 第3回「生活費6か月分は現金」・第4回「100万円預けると年1.5万円引かれる」・第5回「インデックス=市場の平均点」・第10回「先に運用に回す」・応用編「証券担保ローンのリスク」・第14回「人件費は削る物ではなく設計する物」(講義ノートより)

※ この物語はフィクションです。数字は試算で、将来の結果を約束するものではありません(くわしくは「この連載について」)